いつも心に音楽と、山と

さすらいの教師takebowの趣味の部屋

月曜日, 7月 24, 0018

山行回想5-穂高・涸沢カール-


「山を想えば 人恋し。 
人を想えば 山恋し。」(百瀬慎太郎)


何 度も登る光栄によくしている山がある。まして頂に至ることが出来るなんて、本当に幸福なことだ。頂上からの眺めは山人の最高の愉しみである(禁煙し て久しい今でも一服したくなるほどだ)。奥穂の頂上から見下ろした上高地や大正池、帝国ホテルの赤い屋根。何度でも行きたくなる場所だ。

すでに穂高に初めて登った時のことを記したが、今回は2人で登った話を記す。友人の息子がまだ中学生(現在は社会人)の時、上高地→横尾→涸沢→ 奥穂を幕営で登ろうとした。私にとっては久しぶりに同行者を得た形の山行であった。彼は中学の山岳部に入り、ロッククライミングの練習までしている程で あったから、天候さえ良ければ大したことは無いだろうと私はタカをくくっていた。しかし、成長過程の彼に対する気配りが足らず、少しずつバテているのに気 がつか無かった。彼が涸沢のテントで死んだように寝ているという状況に対する正しい認識が私には不足していた。それでも3日目、快晴の中、奥穂に向けて空 身で出発し、白出(しらだし)のコルに建つ穂高岳山荘まで快調に到達した。が、彼の体力はそこまでしか残っておらず、あと少しで頂上に到達できるという地 点にいるのに、もうこれ以上は登れないという。休みを取っても、もう登れないと言うので、私は下山することにした。隣で休んでいたおばさんがビックリし て、ここまで来て何で?と言うので、私は「また来れば良いことですから」と答え、2人で涸沢カールへと来た道を降りて行った。全て引率して行った私の責任だった。単独行がほとんどの私は、同行者の状況や体調を正しく理解することが出来なかったのである。

登れないことで学ぶこともある。登らなかったから良かったこともある。それを知った山行であった。
                                                    (写真は蝶ヶ岳からみた穂高連峰:5月)

日曜日, 7月 23, 0018

山行回想4-剣岳-


「山を想えば 人恋し
人を想えば 山恋し」(百瀬慎太郎)


初めて白馬から見た剣岳の 偉容は忘れられない。もっともその時は名前が分からず、「あれ何だ?」と言っていた位だから、小生のレベルも大したことない。ただそんなド素人でも興味を 持ってしまうほど、特異な個性の持ち主だ。このように強烈な個性を持った山には槍、穂高、鹿島槍、南では甲斐駒ヶ岳などがあげられるが、中でも日本海にほ ど近い場所なのもあって、剣岳の自己主張はバツグンである。剣の先のようで、諸刃の名刀のようで、江戸期の「立山曼荼羅」では地獄の針の山として描かれて いる。

小生にとって、剣は挑戦し続けている山である。一番初めは、小屋がけの単独行で台風が接近している中、室堂の バスターミナルを出発。雨風ともに強くなり雷鳥沢を登っている際には、何度か風を避ける必要が生じるほどであった。別山乗越の剣御前小屋にやっとの思いで 到着。しかし、翌日は台風来襲のため丸一日停滞。小屋にいる客は私くらいになってしまった。もちろん目の前にあるはずの剣はまったく見えない。ところが、 翌朝は台風一過の快晴で、あれほど遠かった剣を目の当たりにしながら、実に快適に登ることが出来た。難所と して知られる剣岳だが、落ち着いて一呼吸おいて当たれば一般登山道なので登れる。兎に角、焦らないことだ。それでも、下山路のカニのヨコバイにはまいっ た。背の低い小生では、足を確保する場所が見あたらず、鎖をもって身を投げ出す形にならないと下れないのであった。天候が落ち着いて安定していたからこ そ、難なくこなせたのだろう。好天を山の神に感謝した。そして、下山途中で室堂平の温泉に浸かったのはいうまでもない。

その後、無謀にも単独行&幕営で2回挑戦したが、2回とも暴風雨に遭い山頂を踏むことなく撤退している。剣沢の幕営地で撤収する際に風で飛ばないようテントを押さえるため、石を置いたらテントに穴が空いていた。結局、一度しか山の頂には達していないのである。

こんな思いをしても、もう一度、いや何度でも挑戦したい山。それが剣岳である。            (写真は剣沢野営場から剣岳)

土曜日, 7月 22, 0018

山行回想3-下ノ廊下-


「山を想えば 人恋し
人を想えば 山恋し」(百瀬慎太郎)


1泊2日で北アルプスの秘境中の秘境を旅したことがある。秋だけしか行けない処が、ここの難点ではあるが・・・

黒部ダムの横から下まで降り、橋を渡ると黒四ダムの大きさが実感できる。観光放水しているので、ナイアガラの滝下に来たかのように感じるだろう。そこからいよいよ現代の秘境下ノ廊下へ と入っていく訳である。内蔵助谷との出合を過ぎると、黒部らしく谷が狭くなってくる。所々、いかにも落石後ですよ、という雰囲気の斜面を歩く。デブリ、雪 のブロックが現れ、緊迫の度合いも高まる。十字峡の吊り橋を渡り、いよいよ岸壁にコの字型に掘られた旧日電歩道を歩くと、三国志の蜀の桟道に迷い込んだか のような錯角を受ける。ザックが大きめなので、壁にぶつからないように注意しながら進む。仙人ダムを越え、峠を乗越すと今日の宿・阿曽原温泉だ。幕営の準備をし、急いで、むき出しコンクリートの露天風呂にビール片手に入る。紅葉の季節は五段染と呼ばれる色を楽しめるそうだ。

翌日は欅平までの水平道を緊張しながら歩く。一箇所、ビックリしたのは志合谷で 沢の下をトンネルで抜けるのだが、鋭角的にカーブしているので全くの闇になる。よって、ライトが必要だ。その上、中は水びだしなので靴の中にも入り込む。 向こう側に出たら新しい靴下に替えられるようにしておこう。ここからは対岸の奥鐘山の岸壁を見ながら進み、鉄塔の下辺りから急な下り坂となると欅平駅は近い。トロッコ列車で宇奈月温泉に向かい、そこからは富山地方鉄道の旅、下界である。

緊張しつつ楽しめる、山のいで湯旅だった。                           (写真は十字峡)