いつも心に音楽と、山と

さすらいの教師takebowの趣味の部屋

水曜日, 5月 24, 0018

山行回想2-雲ノ平~槍・穂-

今までの山人生で死ぬかと思ったことが3回ほどある。その最大のモノを今まで親兄弟にも内緒にしてきたが、今日、その顛末を記す。

私の拙い山行歴の中で、本当の縦走といえるのが2回だけある。
その一回目は折立→薬師沢→雲ノ平→高天原→(水晶)→鷲羽→三俣蓮華→双六→槍→大キレット→北穂→涸沢→奥穂→涸沢→上高地という六泊七日のロングコース。涸沢に降りなければならなかった理由は、当時、ヒュッテで働いていた弟に会うためであった。
夜行寝台で富山に行き、早朝、折立から登り始めると、昼には太郎平小屋に着いてしまった。体力に余力があったので、一気に薬師沢に降りて一泊した。翌日はガスっていたが、雲ノ平に登り、そこから初めて黒岳(水晶岳)を見た。高天原の温泉に浸かりたくなって、高天原山荘で一泊。露天風呂で至福の時を過ごした。3日目は、岩苔乗越にデポって昨日気になっていた黒岳(水晶岳)へ。山頂で微睡むのは山人の楽しみの最大のモノである。その後、急激にガスって来たため、尾根歩きを止め、黒部源流へと下り、そこから三俣山荘へ上がり直そうと考えた、これがいけなかった。
登山道を見失い、焦れば焦るほど分からない。沢をどんどん降りていくとそこは上ノ廊下とよばれるプロの世界だ。これはヤバイと判断した私は登山道ではない沢筋を登ることにしたのだ。そこからの2時間余りの奮闘は、自分でも何をしたのかほとんど覚えていない。落石が運良く逸れたことと、這い松の上は歩きにくいという事ぐらいか。やっと登山道に出たのは、ワリモ岳あたりであった。私はそこで死んだように休んだ。道を普通に歩く登山者には奇異に感じられたことだろう。
そうこうすると何のことはないガスが切れて、自分が悪戦苦闘した下の沢筋や雲ノ平が見えてきた。立ち直って歩き出し、鷲羽岳まで行くと晴れ渡ってくるではないか。なんだ、焦らずに休めば良かったんだ、一休みするということを学んだ。と同時に、山の天気の恐さを痛感した。そして、このことは人に話すまい、と決めた。私の馬鹿な行動がみなさんのお役にたてれば思い、今日、禁を解く。あの時の、鷲羽池越しの槍ヶ岳は目に焼き付いて離れない。ホントにきれいだった。池まで降りようか、とも思ったのだが、もう私に体力は残っておらず三俣山荘に宿を取って死ぬほど寝た。
この日からは厄落としが済んだかのように、晴天が続き、西鎌尾根を通って槍ヶ岳山荘へ。翌日は(本来)最大の難関である大キレット越えなのだが、これも天候に恵まれ、難なくクリア。なんと初めて訪れる涸沢カールは北穂から入ったのだった。上から眺める涸沢はナベの底のように感じた。弟の働いていた涸沢ヒュッテは、いつも通りごく普通に、混んでいた。以後、何回か訪れることになる涸沢だが、単独行であってもつねに幕営となったのはこの時の経験からである。翌日は空身で奥穂高岳をピストンして、帰路、横尾か徳沢で一泊したのだが、写真が無いのでハッキリしない。
当時、私は風景を自分の目に焼き付けるので写真は撮らない、などと豪語していたのであるが、齢を重ねてこのような長い山行が不可能になると写真を撮っておけば良かったと反省することしきりである。ちなみにこの翌年の山行では、写真を撮りまくっているので、今回アップしているのも2回目の縦走時のものである。


忘れえぬ山々、その恐さ、そして何よりも美しさ、これらすべてを経験したのがこの山行であった。

                               (写真は双六岳から見た槍ヶ岳)

火曜日, 5月 23, 0018

山行回想1-白馬三山-


北アルプスが私のお気に入りの山域なのは、山小屋が多くて単独行に適しているからだ。だが、初の北アルプスは、弟と二人で幕営による白馬三山縦走であった。弟は私の山の師匠だが、現在は止めてしまっている。前日から台風の接近に伴う雨が白馬尻のキャンプ場を襲ったが、1泊停滞するだけで登ることが出来た。初めての雪渓登りに超緊張の2時間だったが、何とか葱平に着いた時はホッとした。頂上直下のテント場で幕営。白馬岳山頂から日本海を見た。山から海が見えるとは思ってもみなかったので、よく覚えている。台風一過の晴天には恵まれたが、風はおそろしく強く、キチンと留めていなかったグループのテントが凧のように、晴天の青空に飛んでいった。テントって、飛ぶんだぁ、と知った。翌日、鑓温泉経由で猿倉に降りたのだが、温泉に浸かったためかなりバテた。しかも地図上の時間が間違って記載されていて、こんなことなら温泉に一泊すればよかった、と反省した。
この後、昨年までにこの山域は3回挑戦しているのだが、いつも一日は雨に見舞われている。特に昨年の不帰の嶮越えは、最終日に大雨に見舞われ、反対側の雪渓では土砂崩れが起こった。山の天気は本当に変わりやすく、しかも大幅に変わるので心底恐ろしい。

けど、また行ってみたい。          (写真は昨年、白馬鑓ヶ岳あたりで撮ったこまくさ)

火曜日, 5月 16, 0018

【名曲名盤】シフリン『モーツァルト:クラリネット協奏曲・五重奏曲


天才にもいろいろなタイプがいるが、モーツァルトはあまりに多作タイプなので絞るのが難しい(ダ・ヴィンチみたいな寡作の天才もいる)。今年はモーツァルト生誕250周年なので、さらにCDも増えることだろう。このコラムはどうせ素人の感想文なので、やはり好きな曲・好きな演奏を扱うのが一番を良いと思い、今回はクラリネットのデヴィッド・シフリンを採ることにした。

協奏曲の方はK.622で、モーツァルトの最晩年に作曲されたものの一つ。第2楽章を絶賛する方が多いが、小生のようなド素人には第1楽章の方が入りやすい。出だしからモーツァルト・ワールドが広がり、楽しい気分にさせてくれる。元来、私にとって協奏曲はオケとソリストが戦う感じ=バトルものが最高に好みである。チョン・キョン・ファン然り、アルゲリッチ然り、デュ=プレ然りである。ところが、このシフリン盤は逆で、オケと融合・共生していく。今回、聞き直して初めて気が付いた。つまり、モーツァルトの曲そのものが対立・戦いというものと相容れないのであろう。
五重奏曲の方は、室内楽にあまり通じていない私でもこれは嵌るかも、と予感させてくれる内容だ。こちらも私は第1楽章がお気に入りで、何度聞いても飽きさせない。この曲も死の2年前という厳しい状況下で作られているのに、憂いを帯びながらもモーツァルト・ワールド全開の楽しさ・喜び・幸福感に満ちてあふれている。

天才の一つの天才性は時代を超えた息の長い作品の生命そのものにあるのだろう、と思った。


David Shifrin, Gerard Schwarz, Mostly Mozart Orchestra『Mozart: Clarinet Concerto, Quintet』  Delos 1984注)

月曜日, 5月 15, 0018

【名曲名盤】ケニー・ドリュー『ダーク・ビューティー』


京都で学生生活をして良かったと思うのは、ジャズ喫茶にたくさん通えたことだ。東京にもあったのだが、ジャズ喫茶に行ったことはなかった。それは町の大きさが影響しているように思う。京都の街は狭いので、フリーならこことか、明るい店内で読書するならあそことか、狭い店ならそことか、選びやすかった。そんなお店で触れたのが、今日の一枚。『ダーク・ビューティー』だった。

後にオシャレなジャケの、売れ線のCDで有名になったケニー・ドリューであるが、当時は渋いジャケのレコード(死語)が多かった。普通なら、リバーサイド盤の『ケニー・ドリュー・トリオ』を採るべきだろう。が、なぜか北欧時代の彼の作品が好きであった。自分でも理由はハッキリしなかった。最近、ジャズを演っている友人に教えてもらったのだが、このアルバムのドラムはロック向きにチューニングされているそうで、演奏全体が私のロック魂を刺激しやすかったのだろう。ドライブ感溢れるパフォーマンスはロックおやじの私をぐいぐいとジャズへと向けてくれた。曲についてスタンダードの方が馴染みやすかったのは、心底ジャズマニアでない証拠かも知れない。さて、この作品を自分のモノとして手に入れたのはCDになってからであるが、手持ちのSteepleChase盤にはなぜか「In Your Own Sweet Way」「A Stranger In Paradise」の2曲が、『ダーク・ビューティー2』からおまけの如く入っている。私にとって、お気に入りとなったこの作品は、ロックのように掟破りの攻撃性を発揮し、ますます「黒光り」している。
今はもう昔の物語り。京都もほとんどジャズ喫茶は無くなってしまったそうだ。

KENNY DREW Trio 『DARK BEAUTY』  1974  SteepleChase

木曜日, 5月 11, 0018

【名曲名盤】グールド『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』


クラシックって、取っつきにくい。昔、学校での音楽教育はクラシック一辺倒であったから、私はいやでいやで仕方がなかった。お仕着せ、強制、無理強い、そんな言葉とクラシックは等号で結ぶことが出来た。音感の悪い小生は楽器演奏も覚束なかったのである。

ムソルグスキー『展覧会の絵』についで、友人から薦められて聴いたのが、このグレン・グールドの『バッハ:ゴールドベルク変奏曲』1955年版であった。
ビックリした。何とクラシックのピアニストがスイングしながら、あろう事か、ハミングまでしているのである。私のそれまでのクラシック観を根底から地響きをたてて崩し、全否定するにあまりある作品だった。バッハの曲をチェンバロではなく、ピアノで演奏していることだけも違和感があるのに、この曲のもつリリシズムを全面に現出したかのような表現力は何ものか。その名演に聞き惚れてしまって、結論が未だに出せない。時、場所、人を得てこの曲は開花したのだ。彼、グレン・グールドと出会わなければ、この曲が今日これだけ注目されることは無かったのではないか、と思う。
後に1981年デジタル録音版を聴いた。もちろん、この演奏も素晴らしく老成した観のあるグールドの表現だ。たぶん1955年にこの演奏で録音していたら、もっと衝撃は大きかったとは思う。しかし、残念ながら最初の第一波の衝撃波に比べると1981年版の第二波はやはり弱いと思う。

この作品以後、私は、クラシックは演奏によって全く異なるし、メチャメチャ格好いい作品があるのだと知った。ここから、この一枚から、私のクラシック人生が始まった。

Glenn Gould,Piano 『J.S.Bach:GOLDBERG VARIATIONS』 BWV988  SONY CLASSICAL 1955年録音

水曜日, 5月 10, 0018

【名曲名盤】RCサクセション『カバーズ』


このアルバムはロックを中心とした名曲に、忌野清志郎が「反戦・反核」の意訳の詞をつけた、まさにカバー曲集というコンセンプトであった。常々、小生は日本のアーティストには政治的意見や哲学と呼べるモノが薄く、欧米のアーティストと比べて社会性の欠如を憂いていた。アメリカのWe are the Worldやイギリスのマンデラ・コンサートにみる発言力やパワーは欧米音楽家の主流であり、その軸のブレ無さは「クール」の一言に尽きる。
そんな中、紆余曲折の末、発売されたのがこの『カバーズ』である。 1曲目の「明日なき世界」はとてもパンチの効いた歌詞で歌い上げ、最も気に入られたナンバーとなった。フォークアーティストの高石友也氏も訳詞に参加している。5曲目の「ラブ・ミー・テンダー」の「何言ってぇんだぁ~」という韻を踏んだ歌詞には感服した、流石、キヨシロー。私の個人的な最大のお気に入りは7曲目の「サマータイム・ブルース」である。 子供バンドもカバーしていたが、THE WHOのライブナンバーとして知られるこの曲を、全く異なる反原発・反核の歌詞に変えたのである。その上、三浦友和や泉谷しげるの絡みが巧く、高い効果を発揮している。最後にJOHNの「イマジン 」で閉めるあたりも巧いなぁ。
「素晴らしすぎて発売できません」ではなく、「素晴らしすぎて後が続きません」という感じである。その後、忌野清志郎がタイマーズHISなど活動を拡大していくきっかけのアルバムとしても感慨深い。

♪♪でもよォー 何度でも何度でも おいらに言ってくれよぉ
   世界が破滅するなんて嘘だろ(うっ・そ・だろ~ぉ!)    「明日なき世界」


RC SUCCESSION  『COVERS』 キティレコード 1988

火曜日, 5月 09, 0018

【名曲名盤】ローランド・カーク『溢れ出る涙』


その天才は何本もの管楽器を口にして、演奏していた。ロックなどの演奏家たちに囲まれて、例のサングラスに帽子、濃いひげを蓄えている。
ビデオ『supershow』で初めて見た彼、ローランド・カークの勇姿だった。ジャック・ブルースやバディ・ガイらとブルースをテーマに共演していた訳だが、まさにフュージョン。見た目の奇怪さとは異なり、そのテーマに関する音へのこだわりはなみなみならぬモノを感じた。
JAZZが好きとはいっても、実はピアノトリオを聴く程度だった小生にとって、サックスなど管楽器はとても違和感があり、好きになれずにいた。マイルスやコルトレーンなど少しずつ触れていくことによって、その帷も破られてはいったが。しかし、それでも彼の見た目の異様さは、慣れ親しむにはハードルが高く、まさに異形のモノという感じがして、CDを聴く気にはなれないでいた。そんな時に出会った名盤が、この『溢れ出る涙』である。鼻で吹いたり、3本同時に演奏したり、演奏しながら歌ったり。いくらジャズでも考えられないこれらのパフォーマンスとは異なり、このアルバムの彼はリリシズムに溢れ、時にメロディアスで、時にパワフルで、彼自身の描きたかった音が詰まっている。音で実像を描き出そうとするかのごとき姿は、鬼気迫るモノを感じる。特に1曲目のThe Black and Crazy Bluesや6曲目のThe Creole Love Callなどは彼の個性が光っている。溢れ出る「涙」は異形のモノとしての彼の音楽性に他ならない。

ローランド・カークはジャズそのものであり、黒人音楽そのものだ。
This man is what jazz is all about. He's REAL.(by Charles Mingus)

Roland Kirk  『The Inflated Tear』 (1967)  Atlantic

月曜日, 5月 08, 0018

【名曲名盤】オリ・ムストネン『展覧会の絵』


ロック好きだった高校時代、エマーソン、レイク&パーマーのライブ『展覧会の絵』を聴いた時は、この原曲がクラシックの名曲でロシアの作曲家ムソルグスキーの作品であるということぐらいしか分からなかった。

後年、クラシックを聴くようになって、この曲はモーリス・ラヴェルが管弦楽曲に編曲したバージョンが有名で、もとはピアノ曲であるということを知った。ピアノの組曲としてのお気に入りになったのは、ホロヴィッツのRCA盤で、1951年のライブという音的に厳しいモノだった。その後、この曲に対する思い入れから多くのアーティストの演奏を聴いたが、これというモノに巡り会えなかった。
そんな中、出会ったのがフィンランド出身のエキサイティングなピアニスト、オリ・ムストネンであった。彼は、ムソルグスキーが友人で画家のヴィクトル・ハルトマンの(追悼)展覧会で感じた、その作品群(絵)のイメージに忠実な演奏を心がけたのだ。それは4枚目の「ブイドウォ(=牛)」をモチーフにした演奏部分に典型的に表現されている。上記の有名ピアニスト達が、軽いテンポで弾いていた部分を、重く暗い演奏に変えている点にムストネンのムソルグスキー理解の深さも現れている。

オリ・ムストネンによって、我々はラヴェルの呪縛から解放されたのだった。


Olli Mustonen 『Russian Piano Works 』 Mussorgsky(Composer), et al Decca 1992

土曜日, 5月 06, 0018

【名曲名盤】キャプテン・ビヨンド『キャプテン・ビヨンド』


知る人ぞ知るハードロックの名盤。1曲目の頭から脳天直撃なサウンドの連打に驚愕することになる。しかも一曲一曲のクオリティの高さもさることながら、アルバム全体を構成している宇宙を素材とする緊張感と組織力は、コンセプトアルバムとしての質の高さの証明でもある。

それもそのはず、メンバーは元Deep Purple(第1期)のROD EVANS(Lead Vocals)、ジョニー・ウインター・アンドのBOBBY CALDWELL(Drams)、アイアン・バタフライのRARRY RHINO RAINHARDT(Guitar)とLEE DORMAN(Bass)という、いわゆるスーパーグループだったから、その音楽性の高さは当然であるかもしれない。ただし、Deep Purpleといっても第1期はアートロックに含まれ、現在のイメージするDeep Purpleとは全く異なる訳で、そのキャリアに反してこのメンバーで作り出そうとしたサウンドはまさにハードロック。Deep Purpleというよりもむしろレッド・ツェッペリンのように音の万華鏡的な広がりを持っている。
12曲目の「静寂の対話(返答)」に代表的にみられるシナトラのような甘いボーカル、アルバム全体を通じて変幻自在なリズムを刻むドラム。リズム隊に負けないギターサウンド。本作は日本では評価が高かったが、アメリカでは売れなかったそうだ。クィーンの1枚目と同じ共通性を感じる。時代、会社などのマネージメント、方向性、「売れる」という現象のもつ難しさを思い知らせる出来事だ。

CAPTAIN BEYOND『CAPTAIN BEYOND』  1972  Capricorn(日本盤PORYDOR K.K.)

金曜日, 5月 05, 0018

【名曲名盤】カウント・ベイシー-Jumpin’ At The Woodside-


サッチ&ジョシュ』。初めて買ったジャズのレコードが、ジャズ界の巨人二人のコラボで、二人のバトルというよりも余裕のある競演は、私をジャズの道に引きずり込んだ一枚でもある。二人のやり取りはまさに野球のキャッチボール。これ以後、ピアノトリオを中心にジャズを聞くことになっていった。このアルバム中の「Jumpin' At The Woodside」のドライブ感は、ロック少年だった私にはとても入りやすかった。しかし、情けないことに、当時はテーマやアドリブという言葉も分からずに聞いていたのであった。後にこれはカウント・ベイシーの晩年の作品で、彼はピアニストというよりもビッグバンド界を代表するバンドリーダーとして有名なのだと知った。

一昨年だったか、矢口史靖監督の『スウィングガールズ』を見て、久しぶりに聴きたくなったのだが、悲しいかな、CDは持っておらずレコードプレーヤーは針がダメときているので聴くことが出来ない。私にとって、レコード時代に買った数少ないジャズのアルバムなのであった(当時はジャズ喫茶で聴くのが精一杯であった)。

Count Basie with Oscar Peterson『Satch And Josh』1974.12 Pablo

【名曲名盤】モダンチョキチョキズ『ローリング・ドドイツ』


濱田マリが、歌手であることを記憶している方はそんなに多くないかも知れない。以前、帰りが遅くて見るテレビと言ったら、深夜放送という時代に濱田マリ嬢がボーイズ(音楽漫談)の歴史を具体的に紹介していた。そこで、私のお気に入りである宮川左近ショー注)を熱く語っていたのが、彼女との初めての出会いでありました。(たぶん「おかずな夜」という番組だったらしい)。

その番組で流れていた曲が「新・おばけのQ太郎」で、早速アルバム『ローリング・ドドイツ』を買いに行ったのが、私のモダチョキ人生の始まりです。このデビューアルバムは浜口庫之助氏の「恋の山手線」をツイスト調に、ユーミンの「甘い予感」を中国風に、アレンジして聞かせるとてもカラフルで、めっちゃ関西テイストなお笑い感性爆発なサウンドは、私のツボ直撃でした。「新・おばけのQ太郎」もご存じの曲をファンクなロックに仕上げていて、当時としては斬新だったと思います。まさにリーダー矢倉邦晃のいう『音の百貨店』状態、コテコテのたこ焼き臭のするサウンドでした。その後、バンドはメジャーになるにつれ、音の厚みも出ては来たのですが、このデビューアルバム以上のインパクトは無かったというのは音楽の常とは申せ、悲しいことでございます。

フィリップ君の西城秀樹ネタ 「ヒデキ、還暦~ぃ」 はもうすぐ洒落にならないです。

注)リーダー・浪曲師の宮川左近、ギターの松島一夫、三味線の暁照夫のトリオ漫談で、中でも暁照夫の三味線はバツグンで「三味線界のジミヘン」の異名を取る。

モダンチョキチョキズ『ローリング・ドドイツ』1992.7

水曜日, 5月 03, 0018

【名曲名盤】マーラーの交響曲第5番-アダージェット

JEFF BECKがマーラーのアダージェットを演奏しているのがmixiに紹介されていた。オケをバックにギターを弾いているのだが、ベックらしくない。大昔に演っていたgreensleevesに近い感じだが、曲の影響からかまさに仏教で言う涅槃の境地に近い。何か思うところでもあるのであろうか。
そこで私も涅槃に旅立つために、久しぶりにマーラーの交響曲第5番を指揮者バーンスタイン,ウィーンフィルの演奏で聴く。やはり第4楽章のアダージェットはバツグンだ。甘く、切ない心の振動を伝えてくる。このタイプの曲はマーラーの専売特許だが、バーンスタインの指揮はまさに適役。目をつぶって聴いていると、ヴィスコンティの名作『ベニスに死す』の海岸シーンが浮かんでくる。残念ながら、凡人の儂は必ず、このあたりで睡魔に襲われ、涅槃ならぬ爆睡の境地に至る。悲しい結末ではある。

Leonard Bernstein Vienna Philharmonic Orchestra『Gustav Mahler Symphony No. 5』  Deutsche Grammophon